【限りある時間の使い方】オリバー・バークマン

・我々に与えられたこの時間はあまりの速さで過ぎてゆくため、ようやく生きようかと思った頃には、人生が終わってしまうのが常である。

by古代ローマ哲学者セネガ

・限界を受け入れるとは「何もかもは出来ない」と認める。

何に集中し、何をやらないか意識的に選択し、自分で決める。

「選択肢を確保する」という誘惑に負けない。ほとんど全てのチャンスを逃すことは当たり前の現実。そうでなければ、そもそも決断に価値はない。

事実を直視して、午後6時になってもまだ動けると認める

・いつか全てが片づいて完璧な時間が手に入るというのは、ただの幻想。これは人生のあらゆることに当てはまる。

・「私はコーヒーを自分で淹れることが好きだ。だが、スターバックスのインスタントがあまりに便利なので、私は「好き」なことをほとんどしなくなった。

・時間が少しでもあること自体が、不可解なほどに奇跡的なこと。自分が何をしているかは、もはやそれほど意味がない。大事なのは、自分がそれをしているという事実だ。そのことに気付いた時、感謝の気持ちが溢れ出してくる。

・大きな石の話

 そもそも教師は、瓶に入るだけの量の石しか持ち込んでない。大きな石は何個入る、と前もって確認していた訳だ。でも、時間管理の本当の問題は、大きな石があまりにも多すぎることである。

そもそも実生活では、大事なことのほとんどは瓶に入らない。前もって細工されたクイズとは訳が違うのだ。

ミシュラン星付きレストランでの最高の食事も、心がどこか別の場所にあれば、インスタントラーメンと変わらない。誰かと一緒にいれても、自分のことしか考えていなかったら、1人でいるのと同じだ。意味のある体験をするためには、その体験に注意を向けなくてはならない。注意を向けていないことは、起こっていないのと同じだから。

パートナーや子供を愛したり、キャリアや目標に身を捧げたり、公園を散歩する喜びを味わったりするためには、そもそも献身する対象に注意を留める力が欠かせない。

気晴らしに屈するのは、自分の有限性に直面するのを避けるためだ。つまり、時間が限られているという現実や、限られた時間をコントロール出来ないという不安を、できるだけみないようにしているのだ。重要なことに取り組む時、僕たちは自分の限界を痛感する。思い入れが強いからこそ、完璧に出来ないことがもどかしい。

難しいタスクを落ち着いてやり遂げるには、完璧に没頭出来る状態を夢見るよりも、嫌な気持ちをそのまま認めたほうがいい。苦痛や退屈を否定せず、今起こっていることをそのまま見つめた方がいい。

・未来をコントロールしたいという執着を手放す。計画とは全て現時点での意思表示にすぎない。未来の側にそれに応じる義務はない。

・人生のあらゆる瞬間はある意味で「最後の瞬間」この貴重な瞬間を、いつか先の時点のための踏み台としてぞんざいに扱うなんて、あまりにも愚かな行為である。

・「物事の進むスピードを自分でコントロール出来ない」という真実に直面し、不安を抑えつけようとする努力をやめた時、不安は何か別のものに変化する。幻想を捨ててほっと息をつき、ありのままの現実を認めた時「忍耐」という重要な能力を獲得出来る。

誰もが急いでいる社会で、急がずに時間をかけることの出来る人が得をする。大事な仕事を成し遂げることが出来るし、結果を未来に先送りすることなく、行動そのものに満足を感じることが出来る。

スターリン政権で1週間を5日にして、4日働いて1日休みとした。労働者は5グループに分かれて、それぞれ違う日に休みが割り当てられた。そうやって、常に4つのグループが工場で働けるようにした。休日は一人ぼっちで何をすればいいか分からなくなった。

ソ連政府は、時間の価値が量で決まるのではなく、大切な人と過ごせるかどうかにかかっているという真実を図らずも証明した。

完璧な衰退よりも不快な成長を目指した方がいい。

・大人になるということは「誰もが全てを手探りでやっている」という事実を徐々に理解するプロセスである。どうせいつまで経っても手探りでやるしかないのだから、尻込みしていても仕方ない。待つのはもう終わりにして、今すぐやりたい事をやろう。知識や技術が足りなくても構わない。どうせ誰だって、あなたと同じようなものなのだから。

・次に何が起こるか分からないというのは、人が当たり前に置かれている状況だ。どうなるか分からないからこそ、心配よりも好奇心を選んだ方がいい。

重要なのは、時間をかけることではなく、親切を実行に移すことだ。